第17回 ネパール・タイ・ベトナム
出会いに偶然はないと江原さんは言った編


2006年 9月3日

8月10日のテロ未遂事件を受けて、成田空港はかなりの混雑。
私が乗り込むのはユナイテッド航空なので、チェックインの列はことさら長蛇だ。
こんな時こそ、自動チェックイン機。前々からやってみたかったのだ。
機械はすぐ側にかなりの数で設置されているものの、なぜか誰も並んでいない。
誘導係りの方に聞いてみると使って良いとのこと。なんでみんなやらないの?
やっぱり出来れば預ける荷物も細かくチェックを入れたいのだろう。
UA側も自動チェックインへの誘導にはどうも積極的でないような雰囲気だ。
画面にE−チケットのナンバーを打ち込み、パスポートの写真ページを読み込ませる。
途中、席のグレードアップをするか?とか、フライトを早めますか?などの画面も出る。
なるほど、そんなことも簡単に出来てしまうのね。
で、数分で終了。自動チェックインした人用のカウンターへ行って荷物を預ける。
私の前には女の子3人組が、たくさんのお土産のお菓子を持って並んでいた。
交わされている会話を聞くでもなく聞いていると←聞いてるんじゃん
なんとそのおまんじゅう様のお菓子の中身がクリームなので、機内に持ち込めない、と言う話だった。
うーむ、確かにジェル状、クリーム状、液体は絶対に持ち込み不可、と言うお達しは頂いている。
まんじゅうの中のクリームまでもダメですか。
「お預けになるお荷物に入れて頂けば問題ありませんが、その際は形が崩れてしまう可能性も
ございますので、予めご了承ください」だそうだ。それに対し「困ります」と彼女達。
そうね、確かに形は崩れちゃうかもしれないけど、それは本当にまんじゅうが崩れてしまう事実を
強調してる訳ではなく、その「責任」の所在をはっきりさせておくと言う企業としての合言葉のような
ものなんだろう。おおかた、まんじゅうは無事だと思われるんだがね。
しばらく睨み合いが続き一人がシクシクし始めた頃、やっと彼女らが折れた。
しかしなぜだかわからんが、彼女達の預け荷物はすでに機内へ運ばれてしまっているらしい。
そのまんじゅうをスーツケースへ入れる為、搭乗前に係員と待ち合わせする約束をしていた。
へー・・・・たいへんだなあー。まんじゅう。
で、やっと私の番。
「鍵を全部開けたまま、荷物を預けてください」
まじですか?大丈夫なんですか?中身盗みませんか?とは聞けず、言うなりだ。

マダム余裕の笑顔でチェックイン終了。
長蛇の列を尻目に新しくなった南ウィングへ。
いやー、鍵を掛けられないのはいささか不安だが、自動チェックインは早い。良いね。
おまけに500マイルのオマケをもらえるのだ。


9月4日 バンコク-カトマンズ

カトマンズ行きのTGはそれ程テロ対策もなく、ああ、これなら免税店で何か買えたのに・・・
なんて思いつつ、ボーディング。
若干空席の目立つ機内。並び3席の私の隣は空席、その隣が日本の新聞を持ったネパール人。
あら、と思って「日本語話せるんですか?」と聞いてみると「いえいえ、ちょっとだけ」と流暢な発音。
何を仰る、新聞が読めるってのは相当の日本語力だよ。
「今日は何処にお泊りですか?」
「◎◎ゲストハウスですよ」
「えーーーー!それは私のお義兄さんのホテルです」
えっ!わ〜・・・来た来た、ネパールの運命力だ。・・・よくあるんですよ。
ネパールに関してはほんとに、偶然と言うのにはあまりにも必然な、出会う人が知ってる人のお友達とか、
家族だって事が。いくら小せえ国だっつったって、そんなに狭くないんだけどね。
まあ、それだけなら、素敵な偶然で済んだのかもしれないけど、それだけじゃなかった。
彼の名はラジェシュ。彼の経営するレストランは私の母校のすぐ近くでよく知ってるんだそうだ。
その学校でお友達が講師もされてるとか。またラジェシュが日本の大学へ留学したその頃、
うちの実家そばの大学にお友達が通っていて、そのお友達は前回一緒に買い付けに来てくれた
清水さんのお友達。私もちらりとお会いしたことがある。そんなことすら、まだ瑣末なとこで・・・
去年の帰りの飛行機で遭遇した出稼ぎご一行←トラックバック
彼も同じ飛行機に乗り合わせていて、涙ながらにマレーシアラインへご一行を誘導した。
彼も私達同様に、ご一行の乗り継ぎに協力したんだそうだ・・・
そう、そんな話の中で、始まった彼の「どうするの?今後のネパール」論は、
私が常日頃あたためていた考え方と非常に近いものだったのだ。
事実の重なりよりも、考え方が重なったことが何よりも私を驚かせた。
気付けば手を取り合うように夢中で話し続ける私達。
例えば、出稼ぎご一行の現実について。
彼らは家族の代表として出稼ぎオーディションに合格し、一財を成しに海外へ出た、と言うなら
お金持ちになる第一歩として、ある意味それもありなのだろうと思う。しかしやはりそうはいかない。
ラジェシュ曰く「彼らは田畑や家屋を売り払ってエージェントに支度金を払ってるんだよ」と。
彼らが聞かされている月給が500ドルだったとしても実際には300ドルも支払われず、その売り払った
田畑の元なんて取れるわけがないそうだ。そもそも500ドル支払われても無理なんだから。
お金なんかなくても、暖かい食事が出来て、呑気な昼寝の出来る生活。
それしか知らない彼らがどんなに心細く身を縮めていても、受け入れ側には関係のないこと。
「かわいそう」と言ってしまえばそれまでだ。ラジェシュは同国人として、そんな彼らに怒りも持っている。
田畑を売り払って金を作る気構えがあるなら、なんで自分で事業を起こさないのか。
人の下で働くことにしか考えられなくなっている事、それ事態が問題だ、と彼は言った。
カースト制度が根強く残るネパールで、新たに商売をすることは容易ではないだろう。
しかし同様にその根強いカースト制度の中で、自立することを忘れてしまっていることも事実だろう。
「僕は学校を作りたいと思っている」と彼は言う。
国語や算数はともかく、物事の考え方や社会性を育てる必要を強く感じているそうだ。
そして「あつこ、僕はタダの学校はダメだと思ってるんだけどね」
貧民国ネパールで、そしてボランティア島国日本で、この意見は結構勇気がいるのだが
実はわたしもまったく同じ考えでいた。
「1円でもいい、大事なお金を払って学校に行くことで、きっとその時間を本当に大切にするよね」と
私が言うと、ラジェシュもとても嬉しそうに、「わかってくれる人は多くないよ」と笑っていた。
実際、ネパールで学校を作るのなんか結構簡単なのだ。
つまり学校と言う箱はいくらだって日本のボランティアが用意できるだろう。
タダで通える学校が出来ても、子供達が通えないのは子供達が大事な「働き手」だからだ。
まずは親達に仕事がないとどうにもならない。
親達が技術を取得し手工芸品を製作、エージェントを通すことなく直接購買者(例えばままか)に
商品を渡すことが出来れば、マージンを取られずに満額手に入れられる生産者と
マージンが乗らないから安く買える購買者、と言う双方ありがたいねシステムが出来上がる。
これが世に言うフェアトレードだ。そのお金を1円でも10円でも持って学校においで、と思う。
お父さんやお母さんが毎日一生懸命に働いたお金だ。
例えば病院についても、国民のほとんどが良い病院などの情報を持ち得ない。
些細なことで命を落とすことも少なくない。学校とフェアトレードが繋がると、情報もきちんとリンク
されるようになるだろう。
さ、明日からこれで行きましょう!ってことじゃないのよ。
教育改革をしようとか、技術訓練をしようとかってのは、ひとつのことだけでは済まなくって
必ず繋がりが必要になってくるし、そうしないと広がらないし続かないと言うイメージの話。
まぁ〜〜〜いっこやろうとすると全部繋がってきて大変だな〜〜って話。
少しずつでもすでに取り掛かっている団体もたくさんある。それに繋がりを持たせたいものだ。
そして無償でないことね。これは本当に大事なことだと思う。
私の話は青写真に過ぎないが、ラジェシュはすごい。
彼の留学先であった某大学に、彼の学校の学生を留学させる制度を導入させてきた。
これからネパールの某大臣と更なる具体化に向けて打ち合わせだそうだ。
彼の構想では、小さい子ではなく、まずある程度年齢の高い生徒を募集し学校を作ると。
現在のネパールに勤勉とインテリジェンスをフィードバックさせるためだ。
だから試験もあって、独学の努力が出来る学生を入れるとのこと。もちろん有料だ。

「こんな話ばっかりしてると、まじめで偉い人みたいだけど、ぜんぜんそんなことないんだけどなあ。」
はっはっは。わかりますよ。
そもそも「有料」ってのは商人の発想だしね。
でも組織がお金持ってないと、目的が半ばで頓挫する、継続力なくなるのも事実。
経営がきちんと成り立っていなければ。
骨身を削って人様に献身する姿勢は取れないのだが、商人が合理的に流通を変えて行く様になら、
きっと何かを変えていけるだろう。
何よりお酒が大好きで、食べるのも大好きで、ユーモアたっぷり茶目っ気たっぷりのラジェシュが
マザーテレサではないってことが、とても素敵なのだ。と私は思う。

ゲストハウスに到着して、席がラジェシュと隣だったよ〜と言うと、なんかもう知ってるっぽかった。
恐るべしネパール。


9月5日 カトマンズ

昨日はあれから少し仮眠して、ちょっとだけ仕事して早ご飯食べてまた寝ようと思っていたのに
思わぬ大冒険になってしまった。ダメ出しのサンプルを持って製作店へ行くと、話の流れで工場まで
出向くことになってしまい、バイクの後ろにまたがって郊外へ。
4時間に渡るミーティングが終ったことには、肌寒く星も見え始めていたっけよ。
結局、勢いだけは良かったけれども話はまとまらなかったので、今日も行く。
ここからその工場へはバイクで30分程。午後2時からの打ち合わせなので、30分前にショールームへ
顔を出し、そこでバイクに乗せてもらう。「Namaste!」結婚してすっかり丸く大きくなったが
相変わらずのかわいい笑顔で店長のラビタが迎えてくれる。
近所のお店の人に店番を頼んで、さっそく工場へ。

しかし、参った・・・・まだほんの少ししか走っていない、そんな場所で立ち往生。道路封鎖で渋滞。
これまたネパール人は並ぶって事を知らないので、少しの隙間でもあれば車やバイクが
頭を突っ込んでいく。あちこちでこんがらがって悪循環だ。
照りつける太陽、排気ガスと砂埃。ヘルメットを付けているラビタの首筋から汗が流れている。
バイクの熱自体もつらい。そして自分を支えている腰が悲鳴を上げ始める。
こういう時、人はどうなるかと言うと意識を飛ばして苦痛を感じないようにしようとするんだよ。
世界はひたすら朦朧。眠っているのではないが、もはや何も聞こえていない。
時間の感覚がなくなった頃バイクは走り出した。
頬をなでる心地よい風にすーっと覚醒しはじめる、生まれ変わったわたし。ああ、そうよまさに。
うぉ〜〜〜〜っと言いながら走りたいがお姉さんなので我慢する。生きてる。よかった。
約1時間半かけて工場に到着。仕事前なのにすでにふらふらだ。
約250人程の女性が働く大きくて立派な工場。ラビタの家族で経営している。ボスは一番上のお兄さんだ。
工場の前に広げられた色とりどりのフェルトに興奮!!
そう、女性達は朝から晩まで編み物をしたり、フェルトを作ったりしているのだ。
フェルトは羊毛にせっけん水を注ぎ込み、すべりを良くして形を作っていく根気の要る作業。
羊毛をちぎったり、叩いたり、伸ばしたり、黙々と行われる。
作業場はたくさんのお湯と石鹸が使われるから、いい香りと湯気に包まれている。
なんとも幸せな空間なのだが、実際せっけんとお湯に一日中手を浸し続けるんだから、きっと彼女達の
手は荒れてしまっているんだろうな・・・。「大丈夫?」と尋ねると「最初はひどかったけど、今はなんでも
ないです」と。ナチュラルソープだからでしょうか?それでも結構な脱脂力だと思うんだけど・・・。
とても清潔な作業場で、真摯に作られるから、フェルトはこんなに優しいんだ、と思う。
ままかにもやってくるぞ。
そしてまた2時間程打ち合わせ。昨晩、色見本を貰って帰り、見えない宿の明かりでいくつかの
モチーフを考えていたんだが、果たして実際かわいいかどうかわからないので、ニット長に目の前で
編んでもらう。たちまちいくつものモチーフが出来、感激。アドバイスも的確だ。
それなのに、ああ、それなのにこのファミリーはとっかえひっかえ手の空いている人が打ち合わせに
来るので、誰かが来るたびに私は同じ説明をしなくてはならない。ファミリー側で要望をまとめて
くれないので、される質問も同じだ。昨日ロビンに言ったことが今日のビンディラに伝わっていない。
で、最後にはまた明日、となる。それでじゃあ他の商品の買い付けが出来ないし、体が持たないよ。
「仕事は終ったけど、あつこは帰れないよ」とみんなが笑う。「渋滞が終ってから送っていくね」と。
はい、そうですか。実は今日の夜は宿のみんなや飛行機で会ったラジェシュと一緒にお祭りに行く
予定だったのだ。でもとてもじゃないけど間に合わないな。電話を借りてその旨報告。
それから2時間は待ったでしょうか・・・・もう私はおしっこが心配でたまらない。
まだしたくないけど、これから1時間もしたらきっとしたくなる。きっとしたくなると思うと膀胱が重くなる。
それにさあ、こうやってただぼーっとして待ってるだけなら、もう少し打ち合わせすれば良かった。
・・・・早く帰りたい。
なんとか二番目の兄さんロビンにバイクを出して貰ったが、やはりまだ渋滞は解消されておらず。
帰りは二時間もかかった。

すっかり夜も更けている。宿でおしっこしてから、急いでご飯を食べに外へ出ると・・・あれ?なんと。
昨年、清水さんと私と毎晩飲み、毎晩遊んでいたアミルと目が合った。ばったり路地裏で。
「なにしてんの?」とお互いに言い「いつ来たの?」とまたお互いに言う。
彼は大阪に住んでいるのだが、二週間ほど前に仕事でこっちに来たそうだ。
一緒に晩御飯を食べた。一人ご飯は苦手なので、とても助かるよ。



9月6日 カトマンズ

やっと買い付け開始。朝からあちこちのストックヤードや縫製室へ入る。
昼過ぎにはもう鼻の中真っ黒。
ある工房で「ナマステ」と挨拶したら、初老のおばあちゃまから、両手を合わせ長〜い長〜いお祈りの
言葉の添えられたうやうやしい「ナマステ〜」を頂いた。これが本当のナマステだ。
そもそも「ナマステ」は「南無」サンスクリット語の「namas」の音写で「あなたを拝みます。尊敬し感謝
いたします」と言う意味で易々とは使われない言葉なのだそうだ。現在使われている「ナマステ」は
外国人が使い始めたもので言わば外来語。「Hi!」と同じ様な軽い挨拶だ。田舎などへ行くと、この本来
の深い「ナマステ」を受けることがある、と地球の歩き方にも書いてあったけど、まさかこんな大都会で
授かることが出来るとは思わなかった。慌ててしばし硬直。挙動不審に日本語でありがとうございます、
と頭を下げてお尻から退散した。田舎から出稼ぎに来ていたおばあちゃまなのかも知れないな。
ともかく一日歩き回って充実。

夜はまたアミルと晩御飯。ここでも海外出稼ぎ組の問題について話し合う。
「田畑売って元も取れんのに、なんで自分で商売でもせえへんねん」とアミルもラジェシュと同じ事を
同じ憤りを持って言っていた。とは言っても、その世間知の低さや自信のなさをどう補えば良いのか。
アミルには小さい息子がいる。今はまだ日本で生活しているが、やがては家族みんなでネパールに
住みたいと思っている。ただ問題はやはりしかるべき教育機関がないことや医療体制も整っていない
ことなど。「ディズニーランドやら楽しいものもあれへん」それはまあ置いといて。
「ネパール人かて行きたないでー、病院なんかめっちゃ汚ったないんやでー」
政府が悪い、と言ったところで直りはしない。やはり民間の力でいろいろ手を尽くさなくてはならない。
ネパール人の人間性は大いに信頼出来るもので、是非そんな人々の中で自分の子供を育てたい、と
思っているが、現状のハードでは父の国として息子に誇れない。最近は物心ついて来て
「ネパール汚い」なんて、という様になって来たと言う。「がっかりだ」と言うアミルに「ええやんか
ネパール汚ったないでー汚ったないけど、めっちゃ楽しいでーって言ってやれぇ」と言う私であったが
まぁ・・・やっぱりがっかりですよ、そんな事言われちゃっちゃあ。
個人の意識レベルのボトムアップ、社会のハード面のボトムアップ。
それを豊かな人間関係や優しい人柄を変えずに出来れば・・・そんな国、まだ見たことないなぁ。

写真はネパールで放送されていた「SHABAASH INDIA」と言う番組。「グレート!インド人!」だ。
空手で鍛えた青年。首に銅線をぐるぐる巻いて、4分間息を止めていられるか!?
息を呑んで見つめる家族、眉間にシワを寄せて苦しむ青年。涙ぐむ父。
しかしどうにか成功!!スローモーションで駆け寄り抱き合う家族・・・最後にお父さんから視聴者の
皆さんへお礼の挨拶。そして司会の男性が「シャバ〜〜〜〜」と言うと会場の皆が一斉にインディア!!」
決め言葉「シャバーインディア!」
次の日はやはり空手で鍛えた青年が、いくらバットで殴られても平気?!をお届けします。
こう言う面白い番組はインドからやってきます。



9月8日 カトマンズ

昨晩はラジェスとデート。なんとネパールで神戸牛を食べた!
本当はネパール人は牛を食べない。水牛は食べるんだけど。
「食べていいの?」と聞くと「これは日本の牛だからさ」と言う。屁理屈である。
また懇々とネパールの問題について語る。奥が深くて根が深い・・・。

いよいよネパールでの買い付けも収束に向かっているのであった。
今日は作り込みの商品を全部チェックして輸送準備をするぞ。するぞ!
ジャケット・・・これは全数にファスナーのエラー発見・・・汚れあり。やり直し!
刺繍のシャツ・・・ぜんぜん出来上がってない。急いで!
セーター・・・サンプル段階でまだ製作途中。えー?
どれもこれもどいつもこいつも!!
何度も行ったり来たりしながら指示をする。万が一、今日中にパッキング出来なかった場合
私がいなくても是正出来るように細かく書いたチェックリストなどを渡す。
「ごめんね、まだ出来上がらないみたいなんだけど、何時にパッキングしようか」と
カーゴ屋に顔を出すと
「あ、ごめん、あつこ。今日は早仕舞いするから明日の朝、出発前にやろう」
おいおいおい〜!!!お前もか〜〜
諦めました。ネパールで急いでいるのは私だけのようよ。

宿の前で私を待つ人あり。そして私に「私のこと知ってる?」と日本語で自分を指差している。
「知らないよ」「知ってるよ!ブッダさんよ!」と。
あーあー!そう言えば昨日、2年前の買い付けでサーランギコンサートを見たのだが、その時演奏者し
ていた人とばったり道で会ったのだ。「あなたの演奏見ましたよ」と言うと「知ってるよ」と言う。
「ほんとに〜?」と笑っていると「あなた僕のお兄さん知ってる?ブッダさんよ」と言ってたっけ。
そのブッダさんね。「お茶でもどうですか?」うーん、仕事中にカフェへ入るのは面倒くさいなあ。
しかし彼の指差した先は路上のチャイ屋さん。これは気楽でよろしい。オッケーと座り込む。

「僕は、もうサーランギを売るのをやめました」
衝撃的な一言からお茶はスタートした。
ここでサーランギ売りは、演奏しながら観光客にサーランギを売ることで生計を立てている。
昔から村々を転々とし、演奏しては食べ物などと引き換えて暮らしていた歴史を持つ。
アジア版ジプシーだ。カーストは極めて低い。
しかし近年、その演奏の芸術性の高さから海外で評価を得ている。いろんな人の運動が実って
来日コンサートも行われてた。CDも発売されたのだ。
それでも国へ帰った彼らの日常は、観光客相手のサーランギ売りだ。
しつこく声を掛けては、煙たがられる毎日。
「日本の男の子がね、サーランギ売ってたら「馬鹿」と言いましたよ。僕はもういやになったよ」
おい日本男児。いくら煙くたってそんな事言うな!ネパールが好きだから来たんだろう?
日本語だから通じないと思ったのかい?本当に馬鹿と思ったのかい?
「僕はね、もう演奏だけで生きます。今ね、カフェで演奏の仕事しています。聞きに来る?」
彼の目は真摯で、アーティストだった。海外からのオファーが永遠に続くかどうかはわからない。
カフェでの演奏契約が終ったらどうするのか。長い目で見てサーランギを売らずに生きていけるか
どうか・・・本当に不安だ。カービングが施された手作りのサーランギは安くても1000ルピー(1600円程)。
そもそもそれを行商するのにだって無理があるんだけど・・・。何を売って生きていくか。
ともかく、彼は生涯未来永劫変わらないはずのカーストを超えて、人生の「選択」をしたのだ。
「必ず行くよ」
作り込みはうまく行っていないけれど、ほっくりとでもちょっと切ない気持ちになった。

夜、アミルを誘ってそのカフェへ。
演奏に一番近い席を陣取るが、生憎雨が降ってきてしまって非難を余儀なくされた。
そしたらなんだか遠いよ〜
それでも、演奏が終る度にこちらへみんなが手を振ってくれる。わーい、聞いてるよ〜!
このカフェはアミルの友達が経営していると言う。
「ギャラは充分かな?」と聞くと「うん、ここのオーナーなら大丈夫だよ」とお墨付きを貰い、ちょっと安心。
ネパールにはカーストと言う根深いヒエラルキーがあるものの、そもそも慈悲深い精神を持つ国だ。
例えばストリートチルドレンにしたって、いろいろな技を使って小銭を貰おうとするのだけれど
「それは良くないこと。簡単にお金を貰えると覚えさせてはいけない」と言いながら
「本当にお腹が空いたのか?って何度も聞いて、Yesだったら一緒にお店へ行ってパンを買って
その場で食べさせるよ」と言う。「目の前で食べさせないと、返品してお金を貰おうとするからね」
あの子達はいろいろな嫌な事から逃げてきた。最初から貧乏だったんじゃない子だっている。
やがてはギャングスターになるんだよ。親分の子供が組織を作って、悪い薬やって、悪いことする。
でも、道で倒れたら絶対に誰か助けるよ。飢えて死んだり絶対しない。ネパール人は絶対させない。
もちろん、死んでしまう子もいるだろう。でもその気持ちが、やはりとても嬉しい。
サーランギに対してだって、カーストに厳然たる上下差があったとしても、それが必ずしもいじめる事と
イコールではないのだ。演奏を評価してくれる人もちゃんといる。
演奏が終って、こちらへ来るかな?と思ったら、手を振っただけで帰って行った。
アミルのカーストはかなり高いので、遠慮したようだった。
もちろんアミルは嫌な顔ひとつしないのだが・・・・ここにはここのルールがあり、互いが煩わすことの
ないように生きている。旅行者の私がそれを少し寂しく感じても、それはただ感傷にすぎないのだろう。

このサーランギ売りの話をラジェスにしたら
「あつこ〜その日本でのコンサート、うちの店でやってんだよ〜」だって!
「えー!私そのお知らせをコラムに書いて、開催会場のHPリンクしたんだよ」
「えー!確かにどこかの雑貨屋さんがリンク貼ってたよ!あれ、あつこの店???」
私達ったら、出会う前から繋がってたのね・・・・
怖いよネパール。


9月9日 カトマンズ−バンコク

11時までに空港へ、なのにカーゴの荷造りは9時から。ああ〜〜、不安だ。
思わず早起きをし、そわそわしながら朝ごはんへ。
ベーカリーの厨房へ顔を突っ込むと、みんなが口々に「あちこあちこ」「あちこあちこ」と私を呼ぶ。
恥ずかしいからよしてくれ!!
いつものクロワッサンサンドにカプチーノ。相変わらずうまいのである。
「今日でおしまい。これからバンコクへ戻るよ」と、ホールスタッフにお別れをした。
「あちこ〜!」と、みんなが笑顔で手を振ってくれる。
ちょっと早いけど、そわそわが止まらないのでカーゴ屋へ向かうことにした。
今日は生憎の土砂降り。人通りもまばらだ。降り始めにやたら張り切るリキシャもいない。
それでも軒下から時々声がかかる。膝を抱えて寒そうに男同士がが寄り添いながら店番しているのだ。
途中、アミルのお店も覗いたがまだ開いていない。
まぁ「雨だからお休み」ってのもおかしくないはないのだ。ここはネパール・・・。
8:45、カーゴ屋もまだ開いていない。隣のホテルのソファに座らせてもらい、待機だ。
9:00ぴったりに社長がやってきた。「ナマステ〜。9時の約束でしょう?あつこさん」
両手には熱々のチャイ。熱!熱!って目をくるくるさせてるのでわかる。まったく屈託のないお顔だぜ。
9:00にお客さんと待ち合わせなのに9:00に来るってどうなのよ、あんた。
まぁ、遅れなかっただけで100点なんですけどね、ここはネパールですから。
エラーがあったり、間に合わなかったりして梱包出来ない荷物の重量は予め調べてある。
それをこれからパッキングする荷物とあわせて料金を払えば良い。
熱々のチャイを飲んだら、さあはじめようか。
「いや、あつこ、いいのいいの。やっておくから」聞けば、カーゴ屋に取りに行かせた分も出来上がって
いないのだそうだ。つまり・・・今日、梱包できる荷物はない。「・・・・。」
だから9時で良かったのか。「重さは調べてあるの?」「もちろんさ、書類も作っておくから心配しないで」
「・・・・。」サービスいいね、って言われたい顔するな。ここで済ませる仕事が曖昧な分、絶対後でする
仕事が増えるんだぞ。だからって今どうこう言っても仕方がないのだ。私の飛行機はもう数時間後に
出発するんだから。大人しくお金を払い、出荷作業完了(泣)。
来年はもっと長くいるようにします。

そしてバンコク。
のんびりナチュラルライフを満喫していた私には、何もかもが早い。
人の歩き方すら早く感じる。東京はこの何十倍も早いのだから、そりゃ疲れるわなぁ。
ホテルにチェックインする時も少しおどおどする。
ウエムラさんで予約されていて←日本のエージェントならではのミス、なかなか確認が取れなかったのだが、
適当に漢字について説明すると「ああ、そうですか。じゃあ」と納得してくれた。だいたい、目の前のことが
片付けば本質などどうでも良いのがタイである。ああ、タイに来たなと実感。
疲れた。今日はゆっくり寝て、明日からタイモードになろう。



9月10〜12日 バンコク

ずっと前から気になっていたホテルに滞在している。
全室、無料でワイヤレス通信。駅が目の前でオープンカフェが併設。
大好きなマッサージ屋が近く、屋台も多い。
でも、朝ご飯がABFだったか。これは長期だと飽きるのだ。

ウィークエンドマーケットへ行き、秋物衣類やサンダルを購入。
最近では、秋物のトレンドも根付いたバンコク。みんなくそ暑いこの国の恐ろしく寒いエアコンを
がんがんに効かせたクラブやディスコ、デパートや電車などで着るのだ。
駅と繋がってるデパートや地下道を通って行く職場の場合、下手すると一度も外気に触れずに
職場へ行けそう。なので、ちゃんと秋物もあるのです。まあ、ちゃんとあるけど、ちゃんとしてはいない。
なにしろ本当の寒さは知らないのだから、てんでなっちゃない物がほとんどだ。
選んでるこちらも暑いとこにいるので、見誤らないようにせねば。
はっと空を見ればもう夕方、と言うようなマーケット日。ご褒美はマッサージで。

そして翌朝、目が覚めると体が動かない。
我ながらここまでろくな休みもなく良く頑張った、と気が付いた・・・。
この日は何軒かマーケットで仲良くなったお店の本店へお伺いし、改めて商品を見つつ、オーナーと
親交を深めるつもりでいたのだが・・・・誰とも具体的な約束をしていなかったのが幸いだった。
体が働きたくないと言っている。もう15分、眠る事にする。
朝ごはんを食べたら少し元気になった。リハビリがてら自分の買い物をしにシーロムへ。
そこで歯のブリーチングの広告を読む。にわかに興味が湧く。
その後、伊勢丹でダーちゃんのバッグを買い、パラゴンを冷やかし、行く先々で歯のブリーチングの
広告を読み、興味を募らせる。結果、最初に見たシーロムのセントラルデパートにある歯医者さん
が一番コスパが良いのではと思い至り、もう一度シーロムへ戻った。
気付いたけどわたし、とても元気だわ。
仕事じゃないと動けるってどういうことかしら?ほほほほ
人と言うのは、不思議なものだ。新庄の歯やペの歯が不自然と思っていても、自分がいざやろうと思うと、
やはりピッカピカの真っ白白にしたくなる。誰もが「うわーっ眩しいーっ!」と目を覆うほど白くしたい。
「便器より白くしろ」新庄と同じ台詞が喉元まで来るが、「便器」のタイ語が解らず断念。
この病院にしたのは、値段だけでなく、たまたまお見かけした先生がとてもステキだったからだ。
いい加減じゃなさそうな感じだったので。待合室では親子がご飯を食べていた。
まさか、患者ではなかろう・・・と思っていたら、名前を呼ばれて子供が中に入っていった。
診察の直前に屋台飯をデパートの中で、しかも歯医者さんで食べてるなんて・・なんてタイなんでしょう。
子供は散々泣いた後、たくさんの看護婦に伴われ待合室へ戻ってきた。そしてまた食べていた。
あたしなんか、ブリーチングに興味を抱いた瞬間からご飯食べてない。汚れた歯で治療なんて絶対ダメ
の100か条があるなら、かなり上位にランキングに違いないのに。まったく憎らしい程あんた達は自由だよ。
私の名前が呼ばれ、診察椅子に座ってにわかに怖くなる。あーこわい。
それに実際に施術するのは女の子先生で、ステキな先生は奥でのんびりしているではないか。
のんびりなんかしちゃってる先生を改めて見ると、なんだかさっきよりちょっと安っぽかった。
あー、ほんとにここで良いの?って以前にタイで良いの?
と思った時には、目を塞がれ、がーっと口を開けさせられゴムの防護シートを突っ込まれた。
ぱっぱと漂白剤のペーストを歯に塗り、レーザーを当てていく。
下の歯の一部に激痛あり。「いがい!(痛い)」と飛び上がり、慌ててその歯を指で触って知らせようとすると、
女の子先生は歯の方でなく、その指を慌てて拭いた。「危険だから触らないで」と言われて間もなく、指から
煙が出てるんじゃないか?ってな痛みを感じた。歯の痛みは漂白剤を拭いただけでコロリと治ったのだが
指の皮膚はなかなかそうはいかない。もう神経は指に集中してしまってその後口の中は何をされていた
のやら。約50分程で終了。「指が痛い」と言うと「もうすぐ痛いのはどっかいっちゃうから」と笑われた。
肝心の歯は・・・「えー本当にやったの〜?」位の白さ。それでもやる前に確認した歯の色チャート表
に照らし合わせてみると、なんと2トーンも白さがアップしているのだ。なるほど真っ白!便器さながら!
にはならなかったものの、今までどんな黒い歯だったのよ・・・と思うとやって良かったような。
だいたい日本の三分の一から半額程度のお値段。
・・・遊んでしまった。ああ、罪悪感。
そして翌日は移動日なので、空き時間に買い物やエステをしようと思っていたのだが、それも予定通り
やろうと思っているらしい、わたし。



9月12〜15日 ホーチミン

今回は、初心に返って街をもう一度さらおうと思って、馴染みの宿には内緒で繁華街に陣取った。
ネットで適当に予約。二人まで同料金なので、ハンちゃんにもパンツ持っておいでと言う。
が、バンコクの空港でメールの最終チェックをした時「あつこさん、どこに行ったら良いの?」と言う
メッセージを発見。もちろんだいぶ前に宿の詳細は送っておいたのだけれど、なぜだか届いていないらしい。
ネパールの郵便物じゃあるまいし、なぜだか届かないなんてわけないので、恐らくスパムメールの中に
入っているのでしょうが、それを教えている時間はない。私は2時間後にはサイゴン市内にいるのだ。
この二時間の間に読んでくれ!と祈りながらホテルの住所を送る。
しかし、と言うか案の定、約束したはずのロビーにハンちゃんの姿はない。
そして、私としたことがどういうわけかいつも持ってるハンちゃんの電話番号も忘れてきちゃった・・・あらら。
友人のバーへ行って電話番号を教えてもらおう。私はいつもハンちゃんとバイクで行動している&超方向音痴
なので、繁華街がよくわかっていないのである。初めてのお使い気分でホテルを出る決心をしたのだ。
「連れが来たら渡してください。ベトナム人です」と日本語のメモをフロントに手渡す。
?なぜか、とてもいぶかしい顔をされた。
なんだかんだバーに辿り着き、ハンちゃんとも合流。いやはや、やれやれ!
二人一緒に改めてチェックインである。ん?この時も、とてもフロントは不機嫌だった。
それはフロントの彼のパーソナリティーではなく、優しそうなお姉さんもなんとなく我々に節目勝ちなのだ。
ハンちゃんはその後も、鍵を取りに行っては名前を尋ねられ、廊下で入らないよう注意をされ、つまり・・・
日本人とベトナム人が同じ部屋に泊まっていることに対して、彼らは不機嫌だったのだ。
彼ら的、いや一般のベトナム人的には「その二人が友達なわけがない」のだ。
恐らくレズビアン仲間か、商売かそんなところと思われていたのだろう。
う〜ん、すごくそう言うピンクな関係が似合わない二人なのである。あ、だから不機嫌になられているのか?
嫌な態度を取られることは、まぁまぁ良くあることではあるのだが。どんな差別もいただけないが。
同国籍、民族同士の差別と言うのはまた格別に腹立たしい。私に直接向けられている非難は、大きな声で
成敗してくれようとも思うのだが、これはハンちゃんに向けられたものだ。私一人の時は笑顔すら見せる。
ちょっと窮屈な思いをさせたか、とも思ったが、ハンちゃんはその辺やはり蛇の道は蛇、強い。
非日常の人間観察としてそれ自体をどこか楽しんでる様子も見受けられた。心強いのう。
ボスとしてはよほど失礼なことでもあれば、いつだって掴みかかる気構えだが、これまた微妙に敵は緩い。
ハンちゃんは笑う。「二度とここに泊まらなければいいのです」ごもっとも。
それでなくてもたった三日しかないので忙しい。そして私達はそんなことが気にならないほど上機嫌。
朝から布探し、雑貨探し、デザイン描き、サンプル製作、そしてご飯!!
最大の目玉だったのはカラベルホテルのレストラン。
「オーストラリアの和牛」と言う不思議なメニューがあったものの、味はス・テ・キ!!量もグー
最後のリゾットまで辿り着けず、持ち帰り用にドギーバッグにしてくれるようお願いした。
友人へのお土産だ。それを友人が開けてびっくり「ちょっとあつこさん、これ見て!」
なんとそのドギーバッグ。リゾットが入っていたのは100円均一によくあるような、垢抜けないキャラクターの
付いた普通のタッパー。「あらら〜これ厨房で何かに使ってたんじゃないの?」
そもそも持ち帰り用の容器がなかったのだろうね。それでも断ることなく全力を尽くしてくれてありがとう。
「こういう所がベトナムのいい所なんだよねぇ、かっこつけてなくてステキ〜」と日本人一同歓声を
上げたのであった。そんな時のハンちゃんはやっぱりちょっと嬉しそう。
また行きますよ、カラベル。しかし高けえのよ。



もうけっこう
日記のトップに戻る
[ホームに戻る]

とてもいいので感想を書く